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靴が好き!な人のためのカルチャーマガジン「シューフィル(SHOEPHILE)」発行。クツミライパートナーズ代表。

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2017/04/28 のシューフィルニュース

第2回トークライブのご案内  語り継ぐ皮革・靴文化 「〝靴の浅草〟の歴史と〝靴業四代〟の一族物語」

第2回トークライブのご案内  語り継ぐ皮革・靴文化 「〝靴の浅草〟の歴史と〝靴業四代〟の一族物語」
■靴産業147年
靴産業147年の歴史

■”靴の浅草”の歴史と”靴業四代”の一族物語
靴の浅草 の歴史と  靴業四代 の一族物語 トークライブ

日時:5月6日(土)午後2時~5時
会場:浅草雷門前 浅草文化観光センター5階会議室
定員:50名(参加費無料)


・靴に携わるすべての人に知って欲しい産業の誕生とその歴史についての数々のエピソードを、靴産業に大きな足跡を残してきた方々に登場いただいてお話を聞く「語り継ぐ皮革・靴文化」企画の第2回目を開催します。
・今回は、日本初の靴工場・伊勢勝造靴場に最初の伝習生として入り、その後、アメリカに渡り活躍するなど明治期の靴産業のリーダーとして知られる関根忠吉の曽孫(四代目)にあたる関根宏而さんがメインゲストです。
・関根さんは経営コンサルタントとして長く活躍された方ですが、父君までの三代は靴業。また、その叔父・従兄には靴卸オギツ創業者の荻津完、二代目社長の昭夫氏、という家系。そんな一族の物語をお聞きします。
・加えて、浅草で長く靴業に携わってきた皆さんのお話。産業歴史についての皮革産業資料館副館長、稲川實さんのお話など、靴の浅草の歴史を楽しく、わかりやすく”語り継ぐ”トークライブです。

自分の誕生日やファミリーヒストリーが大切なように、靴に携わる人にとって、仕事の由来やインダストリアルヒストリーは大切だと思います。ささやかなイベントですが、是非おいでください。

シューフィル 城一生
shoephile@mx9.ttcn.ne.jp


<以下、フライヤー1より転載>

ゴールデンウィーク・トークライブ
「〝靴の浅草〟の歴史と〝靴業四代〟の一族物語」
曾祖父・関根忠吉、祖父・関根幸助、伯父・荻津完、従兄・荻津昭夫――そんな一族の末裔・関根宏而さんを特別ゲストにお招きし、靴の浅草の歴史を探究する〝ひと・とき〟。

■ゴールデンウィーク・トークライブ
日時:2017年5月6日(土) 東武スカイツリーライン浅草駅
    午後2時~5時 (開場:午後1時30分)
会場:浅草・雷門前
    台東区雷門2-18-9 TEL:03-3842-5501
    浅草文化観光センター 5階会議室
定員:50名(先着順・参加費無料)

■ライブゲスト
関根 宏而(せきね ひろし) 経営コンサルタント

伊勢勝造靴場を開いた西村勝三の工場運営を支え、靴工の渡米と在米日本靴工同盟会を設立するなど、明治期の靴工場経営と靴工のリーダーとして歴史に名を残す
関根忠吉の曾孫(四代目)。20代で靴業界から離れ、経営コンサルタントとして長年活躍。 「危ない会社の見抜き方」「危ない手形の危ない話」「会社のムダと危険の解消法」など著書多数。
このたび、ファミリーヒストリーをまとめた「靴の夜明け 一族物語」を刊行。その登場人物は、西村勝三、関根忠吉(曾祖父)、関根幸助(祖父)、関根幸雄(父)、荻津完(伯父)、荻津昭夫(従兄)など多士済々。一族の末裔ならではの思い出、エピソードが垣間見られるが、そんな秘話の数々をトークライブの形でお聞きする。

■ライブスケジュール

第1部
「靴の夜明け 一族物語」
関根家四代のファミリーヒストリーと靴業界
トーク: 関根宏而さん

第2部
「靴の浅草の歴史探究」
明治・戦前・戦後、そして未来
ベテラン靴職人、メーカー、問屋経営者などによるトークセッション
歴史解説: 稲川實さん(皮革産業資料館副館長)

■お申込み・お問い合わせ
シューフィル C&C ネットワーク 担当:城 一生
メール: ① tachi@shoephile.co.jp ② shoephile@mx9.ttcn.ne.jp
東京都台東区浅草7-3-6 タテマツビル2F
FAX: 03-5603-0722


<以下、フライヤー2より転載>

語り継ぐ皮革・靴文化2

靴産業147年
Establishment 1870. 3. 15.

その草創期、変革期をリードしたのは、常に〝若さ〟と〝情熱〟だった。

明治3 年3月15 日、旧佐倉藩士、西村勝三が我が国初めての靴工場、伊勢勝造靴場を開設。

1、黎明期の靴職人はティーンエイジャー
初期の靴製造をになったのは10代の若者。武士の子弟の授産事業である場合も多く、文明開化・富国強兵のシンボルでもある洋靴づくりに取り組んだ。伊勢勝造靴場の最初の伝習生・関根忠吉は14 歳だった。大塚岩次郎は13 歳で大塚製靴を創業、岩井信六は19歳で札幌に製靴所を開いている。

2、靴業創設から10 年で国際舞台へ
西洋に追いつけ追い越せ――の熱意と努力で、靴業創設の1870年から10数年で、アメリカに渡る靴工が出現し、1989年には、集団渡米が始まり、最年少の関根幸助は19歳だった。ロシアや中国などに国産靴を輸出することも実現。1893年にはアメリカで日本人靴工組合を設立している。その中心世代は20 歳代だった。

3、戦後の混乱期=洋装の時代のスタート
1945年、戦争が終わり、国土荒廃、産業壊滅。その中で、やがて洋装の時代になると見通し、靴に参入した若者(多くが軍隊帰りで、優秀だけど金も職もない20 代)が、ベンチャービジネスとしての靴づくりに取り組み、その後の産業発展をリードするメーカー、問屋、小売店が誕生した。また、銀座や新宿などに、メーカーが出す靴店(販売所)が数多く見られた。

4、産業近代化で高度成長の波に乗る
55年アメリカ、56年ヨーロッパに有力靴メーカーを中心とした産業視察が実施される。生産システム、品質管理、生産調整などのノウハウを導入。産業近代化を実現し、高度成長の波に乗り、大きく産業は飛躍した。浅草メーカーでその中心になったのは、30歳代の若手経営者だった。

5、靴のファッション化をリードした企画問屋
60年代までのメーカーの時代に代わって、60年代後半から問屋主導の時代に入っていく。さらに70年代半ばからデザイナーによるファッションブランドをアピールする企画問屋が業界・市場をリードしていく。そこには、靴に自分の感性、好み、生き方を反映させていく20~30 代の若者がいた。

6、新たなメイドインジャパンを生むシステムを
既成の産業やシステムが衰退する中、2000年以降、個と手を生かすものづくりに魅力と可能性を見出し、産業の周縁に集積する若者が増加。特に震災以降の社会変化を背景に、シェア&コミュニティワークをベースとした新たなものづくりへの取り組みが芽生え始めている。そして、産業・企業ではグローバル化やマーケット変化に対応した新たな日本式ものづくりシステムの構築、個性あふれるJ‐SHOESの開発がすすめられている。

シューフィル  後援:(一社)日本皮革産業連合会

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