コンテンツ
アクセスランキング
1位 | 靴のパラダイス |
509pt |
2位 | くつみがきのチレミイ(amazing sneaker cleaning in Tokyo) |
336pt |
3位 | 修理工房うさぎや 白山本店 |
235pt |
4位 | サンリペアアピタ四日市店 |
202pt |
5位 | MAKE SENSE(メイク センス)OTSUKA |
200pt |
6位 | ヤマベ靴工房(ヤマベゴルフシューズ) |
182pt |
7位 | SHOEBOYS(シューボーイズ) |
152pt |
8位 | SARA HAIR(サラ ヘアー) |
150pt |
9位 | シューフィル C&C ネットワーク |
136pt |
10位 | 東京修理センター 行徳店 |
124pt |
- 総合アクセスランキングはこちら
- カテゴリ別ランキング
新着ブログ
ブログ読み込みエラー
しばらく経ってからアクセスしてみてください。
しばらく経ってからアクセスしてみてください。
▲ ブログ記事を無料で表示いたします ▲
シューパラ公式SNS
■Twitter(ツイッター)
Tweets by shoepara
■LINE公式アカウント
■Instagram(インスタグラム)
【語り継ぐ皮革・靴文化】第4弾トークライブ「靴の浅草が、 若く熱かった頃」のレポート at 浅草文化観光センター(フライヤー/シューフィル) 今回お話をいただいたのは、サカエブロス会長(元サカエ製靴代表取締役)の杉浦圭佑さん。 杉浦さんは家は4代目であるが靴業は3代目、現在84歳。 息子さん二人も、現在サカエブロス(台東区今戸)で靴づくりに励んでいる。 話を始める杉浦圭佑さん、左はリーガル資料館館長の藤井財八郎さん(リーガルコーポレーション)。 昭和44年(1969年)のファッション雑誌「MEN'S CLUB(メンズクラブ)」での「SAM(サム)」の広告を手にする藤井さん。 「SAM(サム)」はサカエ製靴を代表する靴ブランドだった。アンティーク仕上げされた革靴で人気を博した。 当時の人気ブランドといえば「VAN(ヴァン)」、「JUN(ジュン)」といった、3文字が多かったという。「SAM(サム)」もその一つだった。 今回は、特に昭和20年代~40年代のお話を、先代(父)の日記を振り返りながら語ってくださいました。 【昭和20年代】 戦前~戦後直後は革がなく(少なく)貴重だったため、ヤミで売るために泥棒が多かった。 そんな中、パラシュートの素材で靴を作ったこともあった。(昭和22年~23年ごろ) 革靴の生産には配給の革では足りず、がんばっても日産2足だった。これではやっていけないため、複数の同業者とともに行政に要望を出したところ、「スポーツ革」とよばれるゴルフシューズ向けの革の配給が許され、その革を使って日産8足が可能になり、苦境をしのいだ。 昭和22年、東都製靴工業組合発足。サカエ製靴創業者の杉浦六ツ之が専務理事となり、事務局もサカエ製靴内に置く。 JIS問題が大きかった。同業者とともに行政に反対した結果、妥協点を見出し折り合いをつけた。 プラット式(圧着式)の靴が増えた。靴材料の大谷さんの倉庫が製造工場だった。その後は日本革底センターに。 小売店が強かった。何が売れるか、どのようにすれば売れるか、小売店に聞き回った。 靴販売を盛り上げるために「靴まつり」をはじめた。 昭和29年ごろ、デパートでの靴販売が盛んに。靴卸(問屋)も本格化。 昭和28年に、杉浦圭佑さんは修行のために18歳で靴問屋の新栄産業(シンエイ)に入社する。当時のデパートの販売方法は、靴メーカーや靴問屋の社員が、自社の靴を店頭で売ることが一般的だった。杉浦さんは、当時デパートでは日本一だった銀座松坂屋の靴売り場で販売員を5年間務めた。 【昭和30年代】 デパート売り場がより盛んに。 小売店は「靴まつり」で盛んに。まだ小売店の方が強かった。 トモエ商事、シンエイなど問屋が拡大。 スタンダード製靴が、店頭での靴合わせにレントゲンを使った靴と足を写す機械を導入したがのち撤去。 マドラス(亜細亜製靴)は革のカラーに熱心だった。 行政の指示で、中小製靴企業はイタリー、フランス、ドイツへ研修に行くことになった。 イタリーではBALLY(バリー)の工場へ、ドイツでは靴学校などを見学した。 先代の父親は特にドイツへのあこがれが強かった。 昭和35年サカエ製靴(株)設立。杉浦圭佑、代表取締役に就任。 昭和38年ごろには、メーカーが拡大し、問屋も大きくなり、小売店も大いに栄えた。 昭和39年東京オリンピック開催。 【昭和40年代】 サカエ製靴で自社ブランド「SAM(サム)」の革靴を発売する。 ファッションブランド「JUN(ジュン)」のOEMで、ヒールアップ、ロンドンブーツを作り、次々ヒットする。 失敗談: ヒット商品の木型を流用され、安価版が出回り、販売をやめざるおえなくなった商品もあった。木型はその企業の「顔」だと再認識させられた。 【現在まで】 ある海外ブランドとの提携で、多額の損をつくってしまい、会社は倒産。 再建を期し、サカエブロスとして再スタート。息子二人とともに靴づくりに励む。 【これから】 ・鹿革のルーツをたどると、革靴のルーツがわかるかもしれない。研究中。 ・昔のように、今こそ、小売、卸、メーカーが一丸となったグループを作り、日本の靴産業を守りたい。 ・何事も「おもしろ おかしく」。 ・医療靴など新しい分野へチャレンジしていきたい。 【参考資料】 昭和39年(1964年)ごろサカエ製靴が手がけていた「Rhein」ブランドの革靴。 当時営業に使っていたというキャリーケースに納められた靴。 「Rhein ’64 SCHOOL SHOE STYLES」と書かれたポップ。 当時(昭和20~30年代ごろ)の靴業界紙「東京靴通信」新聞。 昭和24年か34年と書かれていますが、見落としてしまいました。よく確認してくればよかった。 広告欄もおもしろい。現在も存続している企業もある。 当時(昭和時代)のファッション誌。 靴の歴史が記された貴重な書籍。 [PR]shoepara>全国の靴製造メーカー・靴卸業者検索 (文・写真/shoepara編集部 大嶋信之) |
|